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はじめに
どうもみなさんこんにちは、知識の管理人masaです。
11月といえば酉の市です。そこでは必ずあるものが売られていますね。
そう、熊手です。
今回はこの熊手にスポットを当てて書いていきたいと思います。
そもそも酉の市とは何か、熊手の意味や由来などなど情報盛りだくさんでお送りしていきます。
それでは早速やっていきましょう。
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酉の市とは
毎年11月の酉の日に開かれるのが今回紹介する酉の市です。
始まりは江戸時代で、場所は現在で言う足立区の大鷲神社で最初の酉の市が行われました。
当時はまだ収穫祭といった感じのお祭りで、その土地の鎮守である鷲大明神に鶏を奉納するというもの、奉納が終わると浅草の浅草寺観音堂に鶏を離していました。
そこでは農具や農作物の露店が開かれていたようです。
このお祭りが次第に広まって江戸中から人が訪れるようになり、辻賭博まで開かれるようになりました。
しかし、安永年間で賭博が禁止されると同時に賑わいも衰退してきたので、酉の市の人は徐々に浅草のほうへ移っていったのです。
1771年に鷲大明神が浅草の長國寺に奉納されてから、日本で最も有名な浅草の酉の市へと至ります。
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酉の市開催当初の熊手
今でこそ豪華絢爛な熊手が売られていますが、市が始まった当初は普通の掃除用の熊手が売られていました。
この落ち葉をかき集める熊手が次第に運や福をかき集めるといったような意味合いを持って行ったのです。
江戸っ子のシャレのようなものですね。
それが時間が経つにつれ、縁起物として七福神や松竹梅といった縁起物が飾りとして熊手を豪華にしていったのです。
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熊手の粋な買い方
熊手を買う場合、熊手屋のおじさんと値切り合戦が始まります。
あれこれと交渉した結果、店主の「まけた」というような言葉で値切り合戦は終了です。
うまく値切り合戦を制することができたら、お客は最初に値切った結果のお金を渡します。
そのあとにご祝儀として値切った分のお金をあとから渡すのです。
結局値切った意味ないじゃんと思いますよね。
これが江戸っ子の粋というかシャレなんです。
当時のお客はご祝儀を渡すことで大名気分を味わい、ご祝儀をもらった店主は儲かった気分を味わいました。
なんか粋ですよね。この名残が現在でも残っていてこういったやりとりをするんです。
あなたもぜひやって大名気分を味わってみてはいかがですか?
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効き目ありな熊手の飾り方
やはり福を招きたいならちゃんとした場所へ飾りましょう。
一般的にいいと言われている飾り方は以下の通りです。
- 玄関の高い位置に入口に向けて飾る
- 室内に飾るときは北のほうへは向けず、その年の恵方に向ける。
これであなたも開運招福間違いなしですね。
神社の熊手守りとは違うの?
全く違います。派手な飾りのついた熊手は縁起物の飾り、熊手守りは祈祷されたお守りです。
処分するときも方法が違うんです。
縁起物の飾りの熊手は、資源物として処分してしまってかまいません。
ただ、祈祷されている熊手は次の年の酉の市に熊手納め所という場所があるのでそこに持っていく必要があります。
ちゃんと1年間の感謝をして納めましょう。
三の酉ってなに?火事との関係は?
年によって11月に酉の日が3回来ることもあって、最初の酉の日を一の酉、次の酉の日を二の酉、最後の酉の日を三の酉と言います。
古くから三の酉がある年は火事が多いと言われてきました。
本当にそうなのかと思って調べてみると特にそういったことはありません。
それではなぜそのように言われるようになったのか、いくつか説があります。今回はそのうちの一つを紹介します。
浅草の酉の市は吉原の近くにありました。なので、酉の市に行くといって吉原に遊びに行ってしまう男性が多かったそうです。
不倫や浮気をすることをよく火遊びと言いますよね。奥さんがいながら吉原に行くことは立派な火遊びなので、そこから来たのではないかという説です。
確かに火遊びが盛り上がって火事になったら奥さんとしてはたまったものではないですからね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
酉の市の熊手にはこんな由来があったんですね。
なんとなーく縁起のいいものというのは知っていたけどそれが江戸っ子のシャレだったというのは知らなかった方も多いのではないでしょうか。
この記事を読んでから酉の市に行くとまた違った楽しさを味わえると思います。
今年の酉の市にはぜひ行ってみてください。