はじめに
どうもみなさんこんにちは、管理人のmasaです。
今回のテーマはひな祭りです。
ひな祭りは女の子の健やかな成長を祈って行われる行事ですが、果たしてこの行事の由来は何なのか。
知っている方はごく少数だと思います。
一体どのような経緯があってひな祭りという文化は生まれたのか。
ということで今回はひな祭りが行われるようになった由来について紹介したいと思います。
それでは早速やっていきましょう。
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ひな祭りの由来1~ひな祭りの原型まで~
ひな祭りの由来は2説あります。
一つ目は、平安時代のみそぎという行事と宮中の雛遊びが混ざったものです。
みそぎというのは、自分の身に穢れ(けがれ)があるときに身を清めるために川や海、滝などに入る行事になります。
雛遊び(ひいなあそび)というのは紙の人形でおままごとをすることで、貴族の子供たちの間ではポピュラーな遊びでした。
もともと日本には人形(ひとがた)という文化があって、この人形は自分の代わりに厄を引き受けてくれるものと考えられていました。
みそぎに人形(ひとがた)の意味を加えた雛遊びを足してできたのが、自分の汚れを移した紙人形を川に流す雛流しです。
この雛流しが江戸時代になると人形を飾るようになって現在のひな祭りの原型になったというのが一つ目の説です。
二つ目の説は、もともとみそぎの行事としてあった雛流しと雛遊びが混ざって、それがいつしか人形を飾るようになったとする説です。
これがひな祭りの原型ができるまでの経緯です。
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ひな祭りの由来2~人形を飾るようになるまで~
雛流しからどういった経緯で人形を飾るようになったのか気になりますよね。
これからそのあたりを詳しく紹介したいと思います。
厄を流すためのひな人形が時代が進むにつれ人形作りの技術も進化したことでより豪華なものになっていきました。
そのため流すのはもったいないとし、家に飾るようになったのです。
当時の上流階級ではひな人形を嫁入り道具とするのが流行り、婚姻の儀式を模したひな人形一式が作られるようになりました。
この風習が幕府によって正式に上巳の節句として制定されるとひな祭りはより豪華さも増していき、ひな人形をひな壇に飾るようになったのです。
ちなみに節句に関しては以下の記事を参考にしてください。
その後はひな人形を自慢するひな合わせやひな人形に美しい春の景色を見せるひなの国見せ、ごちそうをもって親戚を尋ねるひなの使いといった遊びが大流行しました。
これがそのうち民衆にも広がり、娘が生まれると豪華なひな人形を用意して節句を祝うようになりました。
人形にその娘が受けるはずだった厄を身代わりに受けてもらい、その娘の幸福と健やかな成長を祈るという現在のひな祭りが出来上がりました。
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おわりに
いかがだったでしょうか。
ひな祭りというのはいくつもの風習が合わさってできたものだったんです。
豪華絢爛なひな人形が実は身代わりのために存在しているなんて意外でしたね。
大切な娘の身代わりとなってくれるのですから、丁重に扱わなくてはなりませんね。
間違っても押入れの奥にしまったままということはやめましょう。